自立と共助
~ 自分を信じ 誰かの為に強くなれ ~
理事長所信
「僕に何ができるのか」
この疑問は、青年会議所と出会い解消された。それは疑問などでなく自らの無関心が生む言い訳なのだと。
「青年会議所の運動は、本当に地域の為になっているのか」 その疑問は、今日に至る経験の中で答えを持つ事が出来た。それは自身の課題であり、人に嘆く事で はないのだと。
もう一度考えてみよう。
青年会議所の運動をどこか遠目で見てないか。
どこかで自ら諦めてないだろうか。
自分に妥協はしてないか。
自分の可能性と仲間の力を信じる事から始めよう。 未来の事は誰にも分からないが、未来が誰に委ねられているのかは分かる。 それは僕たち青年なのだから。
はじめに
一般社団法人牛久青年会議所は、先輩諸兄が紡いで来られた31年の歴史を経て、地域に根付いた事業や市民から求められる事業を生み、多くの方に認知される団体となりました。まず、私たちはそ の功績に敬意を払い、しっかりと組織を継承していかなくてはなりません。また、当会には今も変わ らずまちの未来に情熱を燃し、失敗を恐れず行動に移す勇気を持った青年が集まっています。そんな 私たちが行動を起こせば、きっと人の心を動かす事が出来ると私は信じています。市民の無関心を関 心に変え、地域の意識を変革する。それが私たちの出来るまちづくりであり、すべき運動であると考 えます。本年もこの地域としっかり向き合い運動を展開して参りましょう。そして、私たちは新たな ステップを踏み出す事も必要となります。市民に求められる事だけではなく、地域の未来を創造する 新たな運動を起こす事や必要とあれば地域に煙たがられたとしても、私たちの意志を伝え市民と共に 考えていく事も必要です。また、組織の体質上、地域への発信が断続的になってしまう私たちであり ますが、単年度制の中でもLOMとしての中長期的なビジョンを確立する必要があると感じています。 数カ年計画での運動指針を持つ事で、地域により効果的に影響を与えられる様になり、運動展開に統 一性を保つ事で、私たちの運動の理解者も増えると思います。もし、明日青年会議所が無くなってし まったら、市民はどのように思うのでしょうか。そしてこのまちにどのような影響があるのでしょう か。何も変わらない、そんな団体であってはなりません。私たちが歩みを進める上で、その答えを導 き出しましょう。市民に求められる事から地域に必要な団体を目指して。
自立と共助
国内からも国家としての自立を問う声が挙がり、世界からは国際協調のあり方について問われている現在の日本。国民に目を向ければ、自立を放棄し保護下に依存する若者や、自由の意味を履き違え 自由主義と称してエゴイズムを貫く大人たち、義務を果たさず自身の権利ばかりを主張する公共性の 無い人々、そんな国民が増えた現在社会が抱える問題の根源は、自立と共助の精神の欠如に関連して いると考えます。
自立とは、他の従属から離れひとり立ちをする代わりに社会的責任を負うものです。公の中で生き る以上、制限なき自由などある訳はなく、個だけを追及し続ければいつかは孤立します。公の中で自 分を確立し、社会の一員として生きる事が自立というものであると考えます。また、共助とは自立と真逆に捉え得る言葉ですが、私は自立の先にある事だと考えています。例えばあなたが海に溺れてい たとして、他に溺れている人を見つけたとします。果たしてあなたはその人に手を差し伸べる事は出 来きるのでしょうか。その状況下でも、自分の存在を確立した強さを持った人間でないと手を差し伸 べる事は出来ないと思うのです。海に対する知識、海に溺れる事のない体力と泳力、海を恐れる事の ない勇気、これらを持ち合わせた人が、この場でいう自立した強い人間であると考えます。奉仕の精 神性を持つ私たちJAYCEEも同じ事が言えます。「仕事が儘ならないで、地域の為だと行動する 事が出来るのか」「家庭環境を壊してまで、誰かの為にと手を差し伸べる事が出来るのか」「自分が出 来てもいない事を誰に物申すのか」私たちは仕事も家庭もプライベートでさえも、一生懸命に取り組 んでいかなければならないと思うのです。まず私たちは、あらゆる場でも強くある為の準備をして参 りましょう。強くある事は決して悪い事ではありません。その強さを何に使うのかが問われるのです。 強さは傲るものではなく、誰かの為に使うものであり、その強さはきっと私たちの目指す「明るい豊 かな社会」の一助となる事でしょう。
会員拡大
何故会員の増強が必要なのか。それは私たちが意識を変革しようとする団体で、事業を通しそれを実践する運動体であるならば、数は絶対的な力になると考えるからです。1人でも多い同志と出会う 事で、私たちの運動に可能性が広がり、その力を持ってより多くの市民と価値観を共有する事が可能 になります。また、もう1つの理由として、同志を増やす事がまちづくりの原動力になると考えるか らです。卒業生から「生涯JAYCEE」という言葉を耳にします。それは卒業してもなお、総会や 各大会に参加するといった意味ではありません。青年会議所で培った価値観を各々のステージでも共 有し、青年会議所の枠を超えて他へ発信していく事、それがその意味であると理解しています。青年 会議所だけでまちは変えられません。現役やシニアまた青年会議所に属するかは問わず、このまちに 志高い市民を増やしていく事が、未来を変える原動力となるのです。他の委員会と同様にまちの未来 を担う気持ちで会員の増強に努めて参りましょう。
また、本年もオセロ県大会に向けた地区予選を開催致します。しっかりとした大会運営を行う事は もとより、多くの市民に私たちの存在を理解してもらう場にもなる筈です。その機会を有効に使い青 年会議所の理解者、賛同者を増やしていきましょう。そして、会員増強の為には例会事業だけに捉わ れず、年間を通じて活動していかなければなりません。また、担当委員会だけでは、より良い成果を あげる事は出来ないとも考えています。会員全体と密に連絡をとり、数々の手法を試みる事で会員の 増強に努めて参りましょう。
まちづくり
私たちは数々のまちづくり事業を行ってきましたが、単年度制という組織の体質に縛られ、単独単発で行うが故に、その影響力や浸透性に乏しく、期待した効果を得られてこなかったのも事実です。 だからこそこれからのまちづくりの形には行政、市民、諸団体との連携を図り、より効果的で浸透性 のある事業を構築していく必要があります。
まちづくりには「若者、馬鹿者、よそ者」が必要だと述べる人がいます。確かにまちの発展には、 若者の行動力や斬新な発想力は必要な要素であります。また、過去を振り返れば欧米の文化を取り入 れることで日本は成長してきたのです。保守的な考え方もあり新しいものを受け入れるには、多大な 労力を必要とします。しかし、このまちの未来を見据えた上で、この3要素はとても重要になると感 じています。私たちの住む牛久市はベッドタウンとして成長を遂げ、他地域からの移住者も多く、い わゆるよそ者と呼ばれる人々と共に成長してきたまちです。しかし、近年新しい行政区との間に隔た りを感じられる様になりました。物理的な距離の影響かもしれませんが、どこか繋がりの薄さを感じ るのです。また、新しい行政区が出来た事により現在若い世代の人口が増加し、児童の数も増えては いるのですが、このまちも高齢化が進んでいる事は事実であり、今後地域間、世代間による要望の相 違が生まれる事も予想されます。まずは、それらの隔たりを埋める為、私たちがこのまちを繋ぐ架け 橋となりましょう。まちの一体感を高め共通の意識を持つ事が、まちづくりの第一歩となる筈です。
牛久市は比較的地価も安く、交通の利便性や豊かな自然環境、観光資源等、たくさんの魅力を持ち合わせ、また、不可も無くとても暮らしやすいまちだと思います。ここで行うまちづくりとは一時的 ブームを呼んだ地域ブランドやご当地飯等の創作といった、無いものねだりをするよりも、今有るも のをいかに活かせるかに目を向けるべきだと思います。このまちの可能性を見出し地域に提案してい く事も、私たちが出来るまちづくりの手法の1つだと考えます。
人材育成
外国人労働者の受け入れや経済連携協定の影響により、今後日本は急速なグローバリゼーションに見舞われる事が予測されます。私たちはグローバル化していく社会の中で、他と対等または、そのコ ミュニティーを引率するリーダーとなる事を目指していかなくてはなりません。では、そういった社 会の中ではいったい何が求められるのでしょうか。語学力、世界経済を見通す洞察力等も求められる 事でしょう。しかし、最も必要なのは人間力であると考えます。人の個性や価値観が重要視され、自 己を確立した人材が求められるのではないかと考えています。
私は家族というコミュニティーに属する事から始まり、学生時代を通じ地域の人たちと出会い、社 会人となる事で全国の人たちと出会う機会を得る事となりました。多くの人が成長と共に属するコミ ュニティーを変化させ、現在の居場所を確立しています。また、属してきたコミュニティーに対し、 家族愛、郷土愛といったように誇りや愛着が湧くものです。そして、私は国際アカデミーに参加させ て頂きある経験をしました。普段私たちが初対面の人を関西の人、沖縄出身の人と見るように、国際 社会に出た場合、まず私たちは日本人として見られる事となるのです。それは当然な感覚であり、そ の人を知り理解する為にも必要な事だと今は思います。しかし当時の私にとって初めての感覚であり、 その経験の中で自分が日本人である事を強く感じ、それと同時にその事に誇りを持つ事が出来る様に なりました。また、自分がどんな人間なのかと向き合う事が、自己を確立する上で、必要な事だと痛 感させられました。しかし、私たちは世界と比較した上でも、自分の事を知らな過ぎるのです。私た ちが暮らす日本の建国の歴史を知る人はどの位いるのでしょうか。国歌「君が代」ですら歌えぬ者や またその意味を知らず口ずさむだけの人はどの位いるのでしょうか。これは一例ではありますが、日 本とはどのような歴史を刻みどのような価値観を得て今に至るのか。もう一度自分たちの目で見つめ 直す必要があると感じています。自国を知らぬ者に他国を理解する事は出来ず、自分を愛する事が出 来ぬ者に他を愛する事は出来ないと思います。グローバル化する社会を前に、この国に生まれた自分 を知る事から始めていきましょう。自国を誇れる歴史観と確かな国家観を持つ事、それが国際社会で も通用する人間力の一部となる筈です。
また、自分を知る事で他を理解する為の比較材料を得る事にも繋がります。民族、宗教、文化の違 いで世界では今も差別や紛争が起こっています。育った環境が違う者が集まれば、価値観がずれる事 は当然な事です。国際社会で生きていく為には、他を理解し尊重する事、これも必要な人間力の一部 になってくると思います。そして、いつかその考え方が広まり相互理解が深まれば、きっと私たちの 目指す恒久的な世界平和にも近づく筈です。
次世代育成
現在の青少年を取り巻く環境は、私たちが成長期を過ごした環境とは異なると感じています。インターネットの普及により、ある程度の生活が人と接する事なくオンライン上で完結出来るようになり ました。そして、核家族化や女性の社会進出が進んだ事により、家庭内でのコミュニケーションを取 る時間は減少し、少子化と言われる現在では兄弟を持たない子供たちが増え、兄弟喧嘩ですら経験す る事なく成長していきます。また、様々な事件の影響から地域交流でさえも良く思わない保護者も増 えてきました。現在の日本で、インターネットの普及や女性が働きやすい環境づくりが進む事は、一 概に悪い事だとは思いませんが、私たちが成長期に受けた教育をそのまま継続する事で、現在の子供 たちは社会人として成長する事が出来るのでしょうか。子供たちは対面的に人と接する経験の中で、 自然に善悪を判断できる様になり自身の価値観を確立していくものです。そういった経験が現代の子 供たちには不足している様に感じます。
子供たちで構成される空間にいじめという問題が存在します。これを分析してみると分かる事は、 いじめという行為に直接関わる者は、極一部の加害者と一部の被害者しかいないという事です。しかし、いじめ問題という視点でみると、そこには多くの傍観者がいるのが事実です。いじめられている 側にも原因があると間違った観点でその事実を捉える者や自分事ではないと無関心を装う者が多く いるのです。もし、多くの傍観者となっている人が、いじめは悪い事だと言動や行動に移す事が出来 たのならば、いじめは減少するのではないのでしょうか。私たちが幼い頃も、少なからずいじめとい う問題はありました。それが、社会人へと成長していく過程の中で、人の痛みを知り、自分の価値観 を確立する事でいじめを止める事も出来るようになります。しかし、子供たちの価値観の根底となる 筈の親との時間が減り、対面的に人と接する機会が減った現在の子供たちは、道徳心や自分の価値観 というものをどこで確立していくのでしょうか。昔、地域には口うるさい親父が一人は居たものです。 こんな時代だからこそ私たちがその立場に立って、口うるさくというのでなく様々な体験や学びの場 を提供し、子供たちが精神的に自立し、自分の意志で行動できる人間に育つよう努めて参りましょう。 次世代を担う子供たちは尊い存在であり、その成長が日本の未来を左右する1つの要素となります。 また、その子供たちが育つ環境をつくるのは、私たちである事も忘れてはいけません。
環境問題
地球規模で考える環境問題は数多く存在します。ごみ処理の問題、地球温暖化、オゾン層破壊、大気や水質の汚染、森林破壊、絶滅危惧種の増加、人口の増加と貧困、エネルギー問題等、現在の私た ちは多くの環境問題と直面しています。私たち人間がこの地球上に暮らす以上、より便利で豊かな生 活を望む事は必然であります。しかし、国際会議の中で「発展は幸福の邪魔をするものではなく、幸 福をもたらすものでなくてはならない」と現代の消費主義社会に警鐘を鳴らしたひとりの大統領がい ました。一体その人が述べた幸福とはどの様な意味なのでしょうか。私たちは自分の子供たちへ、幸 福な世界だと引き継ぐ事は出来るのでしょうか。消費主義に対し論議をしたいのではなく、まず私た ち人間がつくった現在の環境を認知し、その犠牲として払ってきたものに目を向け、改善に向け行動 に移すべきだと伝えたいのです。また、これは環境サミットで当時12歳であった少女が述べた言葉 です。「世界に暮らす私たちみんなが同じ大きな家族の一員である事を知っています。そうです50 億以上の人間からなる大家族であり、3千万種類以上の生物からなる大家族です。いろいろな国の政 府や国境が、どんなに分け隔てをしようとも、私たち地球で生きるものたちが1つの大家族だという 事は変えようがありません。みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつに して行動しなければならないことを知っています」この少女が言うように環境問題は、誰かだけに委 託する事は出来ません。世界各国の人々が同じ目標のもと改善に努め、助け合い、補い合う事が必要 です。私たちも地球に暮らす大家族の一員として、責任を持って行動に移して参りましょう。一人ひ とりの意識が変わればきっと未来は変える事が出来る筈です。
人と自然の共生をテーマに先輩諸兄が発足したうしくみらいエコフェスタも本年で10回目の節 目を向かえます。行政、他団体との実行委員会制となり、来場者数の増加や開催規模も成長を遂げる 一方で、私たち青年会議所メンバーはその運営に追われ、本来の意図を見失いかけているのかもしれ ません。10回目の節目を向かえるにあたり、LOMが一丸となって環境問題と向き合い、参加者に 対し環境問題に対する意識の変革を促して参りましょう。
組織の運営
組織の花形が事業を担当する委員会でいられるのは、組織の運営に関わる者が簀の子の下の舞いとなり、懸命に活動しているからです。そして、その存在が組織力の源となっている事も紛れもない事 実です。まず、私たちはその存在に感謝し敬意を払わなければなりません。総会や諸会議の運営、広 報活動、各スケジュールの調整管理、会計経理の処理、出向者の支援等、どれも組織の運営上大切な 業務です。組織の運営に関わる者は、その重要性を理解し、責任感を持って活動して参りましょう。
また、本年は特に広報活動に力を入れていきたいと考えています。会員の為だけの活動記録を残す のではなく、率先して他団体、各メディアと連携し私たちの運動を広めて参りましょう。各委員会の 政策を花開かせるのは、広報活動の力量に掛っていると思います。
組織の運営には、培かわれてきた伝統がある事も忘れてはなりません。故きを温ねて新しきを知る といった考えのもと、今の青年会議所に見合う新しい組織の運営を築いて参りましょう。
結びに 7年前、私が青年会議所の門を叩いてから今日に至るまでの出会い、そして、全ての出来事が新鮮でありました。入会当時の私にとって「地域の為に」とか、「誰かの為に」なんて言葉は、どこか恥 ずかしく聞こえた事も覚えています。そんな私に刺激を与えてくれたのは、誰かの為に情熱を燃やす 仲間たちでした。私には綺麗事に聞こえた会議が事業として実行されるのを見ているうちに、「ここ では理想を話しても聞いてくれる人がいる。それを行動に移す仲間がいる団体なのだ」と思える様に なり、青年会議所の魅力に惹かれていきました。私はこの大好きな青年会議所がいつまでもそんな団 体であって欲しい。正直者が馬鹿をみる事のない団体で有り続けたいと思っています。私たちに出来 る事は限られているのかもしれません。しかし、この運動は無限の可能性を秘めていると信じていま す。私たちは未来を語るだけの論者であってはならない、それを行動に移す運動体でなければならない。本年も私たちの目指す理想を具現化するべく運動に邁進して参りましょう。